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五千円札 [日記・雑記]

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明日、11月23日は女流小説家、
樋口一葉の命日です。

樋口一葉と言えば、「たけくらべ」などの代表作よりも
「五千円札」を思い浮かべる人の方が多いかもしれません。

士族の娘として誇り高く育った一葉ですが
彼女の人生は生活苦との戦いでした。
その困窮ぶりはひどいもので、
借金を申し込みに行った相手に「妾にならないか」と
言われたほどだそうです。
生活のために、妾奉公をする一歩手前まで
追い込まれたようです。

明治時代、女性がひとり働いて生活費を稼ぐことは
非常に大変だったことでしょう。
しかも、一葉は家長として母と妹を養わなければなりませんでした。

このような生活に困った女性にとって
生きていくために
わずかしか選択肢のない時代でした。
つまり、結婚するか、身体を売るか、どちらかです。

しかし一葉の選んだ選択はそのどちらでもなく
自身の持つ文才を生かして小説を書くことでした。

一葉は24歳で亡くなるのですが
その死の前の一年2ヶ月の間に
次々と名作を書き上げていきます。

以前、一葉の生涯をドラマにしたものが
放送されたことがあったようですが
その中で印象的な、こんな感じの台詞があったそうです。

「私という人間が確かに生きていたという
何か痕跡を残すまでは
私は死んでも死に切れない。」

その後、五千円札にその肖像が使われることとなり、
本人は知らぬことながら
立派に生きた痕跡を残すことにはなりました。

しかし、早世しなかったとしたら
きっと、もっとすばらしい作品を残したことでしょうに。








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奥様すつとお羽織をぬぎて、千葉の背後より打ち着せ給ふに
人肌のぬくみ背に気味悪く、麝香(じゃこう)のかをり満身を襲いて
お礼も何といひかぬるを、よう似合うのうと笑ひながら、
雪洞(ぼんぼり)手にして立出で給へば、
蝋燭いつか三分の一ほどに成りて
軒端に高し木がらしの風。
(樋口一葉「われから」)



一葉は1896年五月、この「われから」を発表しましたが
これが最後の小説になりました。




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